日本武道傳 少林寺流空手道
勇心門について

勇心門がめざす空手道

日本は世界に誇る経済大国となりましたが、私たち日本人が社会の物質的な繁栄の陰で見失ったものは少なくありません。それは精神的な豊かさと自立の気概です。

現在の社会では、多くの青少年がよるべき精神的な支柱を見失い、自信をなくしているように思われます。暴力やいじめによる少年の自殺などは、それの現れであり、現代社会の歪みを憂えずにはおれません。

空手道とは勝敗を究極の目的とする武術ではなく、有形無形の鍛錬を乗り越え、その汗の中から人格の成長を図るものです。無駄のない正しい動作からは、品位と美しさが生まれます。

古来、沖縄において空手道は南海の秘術ともいわれ、一子相伝を守り、君子の武道であると言われてきました。しかし、現在では、スポーツ化され、広く一般に普及しています。

勇心門の空手道は「我に落日あれども、我が流儀に落日なし」と謳われた、拳聖 保 勇先生の教えを忠実に後世に伝え、継承しています。

拳聖 保勇 拳聖 保勇
拳聖 保 勇先生による直伝指導

我と我が身と我が心に決心することから始まるのが初心です。空手をやる人間なら誰でも知っている。日々の練習の苦しさと、しかもその苦しみの中からでなければ何事も生まれてこないことを。

みじめになるくらいな肉体の弱さ。こんなはずではなかったと思いたくなる気力の脆さ。鍛錬の中でこれを味わい、しかしこういう自分を他の自分に取り替えることはできないのだと居直ったとき、一歩一歩前に進みはじめる。

ここに空手がある。

この物質万能の中にあって、空手をやる者は自己の生身の体に関わって術を磨く。だからこそ、一人の人間の生命の手ごたえを直接感じる。武道の終局は、人を生かすことにある。

中崎康貴
日本武道傳 勇心門 舘主 中﨑康貴

自己の運命は自己で負わなくてはならない。運命を我が身に引き受け、なおかつ闘おうとする時、人の価値は「何を持っているか」ではなく、「何を与えられるか」で決まるのではないだろうか。人に与えて自分も生き、他人も生き、ともに喜び合う心が、肉体精神行の大切な目的である。日常身についた偏りや心にこびりついた執着の是正が空手道の拳学と拳行にはある。

「空手道 勇心門」がめざすのは、二十一世紀の社会を担う青少年の健全育成こそ社会全体の課題だと考え、単に手足の技だけでなく、心身の鍛練によって青少年に「正しい事を断じて行う勇気」と「人を思いやる真の優しさ」を育て、人間としての尊厳と誇りを抱かせることです。

自信と勇気をもって空手道に精進すること。そこから得ることのできる確実な存在感をより多くの人に知ってほしいのです。


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