拳聖・保勇先生の
数多い弟子の一人として
中﨑談話
保勇先生は、真の武道家であられた。一つの武道を極めるのみならず、沖縄空手各派、講道館柔道その他の柔術、各種古武道に至るまで、様々な武道を広く習得し、その真髄に触れることで、長い歴史の中で形骸化した技術の本質を統合し、ご自身の創意工夫によりそれらを補いつつ、体系化された。
殊に、当時どの空手の流派においても型に偏っていたことを憂慮し、実践的な武道たるには、型と組手を車の両輪の如く偏りなく習得すべきであると説かれ、自らの手で論理的に編み出された組手の技を、防具を装着することにより、実践的な稽古の中で身につけられるように工夫された。
その集大成が、正流七法を柱とする少林寺流空手道であり、それを以て心身ともに強く健やかな人間を育てることにより、戦後復興に貢献するという目的で設立されたのが、錬心舘である。
私自身も、師範を頂いた後その保勇先生がご逝去されるまで、熱き指導と薫陶を直々に受けた弟子の一人である。生前には、私が保勇先生の最後の弟子であるとのお言葉を、幾度となく頂いた。そのことを深く胸に刻みながら、先生の教えを体現し、正しく後世に伝え、広めることによって、先生が真の武道家であられたという事実を証明し続けたいと、日々精進している。
偉業を成し遂げた大人物は、ともすると、ネット上など巷であれこれと誹謗中傷されがちであるが、保勇先生が真の武道家であられたという事実は、私が身をもって知っている。この事は保勇先生の名誉の為にも、ここに明記しておきたい。